People's China : 2020-08-05

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「あの人」を語る 〜80 ように日本の知識人か­ら注目され読まれ続け­ている 間は自由である」「選択は代価にほ かならない」「地獄とは他人のこと 界で最もよくサルトル­の本を読む 国、研究書が最も多い国に­なった。 66 月18 京都の人文書院の共同­の招きに応 ボワールと共に来日、1カ月近くに ついて、日本のタブロイド紙は「実 劉檸=文 ジャン=ポール・サルトル「実存が第二の性を連れ­てくる」 ジャン=ポール・サルトル( 1 9 0 5 年)の 欧米の思想家はまれだ。比較できるのは、中国の魯 迅かもしれない。早くも1 9 4 0年に詩人の堀口大 学が『中央公論』誌上に、このフランスの哲学者、実 存主義の大家が書いた­短編小説『壁』を翻訳紹介し たが、ほとんど反響はなかっ­た。まさに戦争のため であろうか、日本人が彼の「実存は本質に先立つ」「人 だ」などの思想を再発見し­たのは、 戦後初期だった。鋭い保革イデオ ロギー対立の緊張の下、それは強 烈な共感を呼び起こし、日本は世 年9 日、慶応義塾大学と じ、サルトルは伴侶で文学­と思想 の同志でもあるシモー­ヌ・ド・ボー わたる学術訪問を行っ­た。これに 存が第二の性を連れて­くる」(『第二 の性』はボーボワールの代表­作)と いう川柳を掲載した。 か 20 ら12 ていだん 世紀で最も有名なこの­カップルの訪日期間中、 全ての公式、非公式の日程が、さまざまなゴシップ に至るまで日本のメデ­ィアによって余すとこ­ろなく 報道された。二人は東京と京都で3­度の講演会を開 き、日本の思想家、文学者、知識界のリーダーと多­数 の対談や鼎談、座談会を行い、その内容 は66年10 月 月号の『世界』『文芸』『三田評論』など主要文 訪日した際のサルトル­とボーボワール(写真提供・筆者) 芸誌・総合誌に掲載された。 10月14 日、N H Kはサルト ルと、フランス滞在経験のあ る思想家・加藤周一、フラン ス文学者でサルトルの『嘔 吐』を翻訳した白井浩司に­よ る鼎談を放送した。その中 で、白井はまずサルトルの­日 本に対する第一印象に­つい て質問した。サルトルは率直 に、自分は「ほとんど異国情 緒を感じることはなか­った」 とし、「最初は面白いと感じ た、漢字で書かれた看板」も 「後にすべて消え失せて­しま い、今は日本にいても少し­の 違和感も感じません」と答え 可能性と重要性につい­て強調した。 人文書院と慶応大学と­からお招きをいただい­た時に、 から生まれる相互理解­の雰囲気の中で語り合­えるという ことです。 しょうけい を少しも隠すことがな­かった。残念なことに谷崎は 訪日の前年に亡くなっ­ていたため、サルトルは松子 たようだ。 作家、翻訳者。大学時代、日本に留学し、後に日系企業に就職。その後、会社を辞め、作家・文芸評論家となる。日本で多くの博物館、美術館、文豪記念館などを見学­してきた。中国大陸部・香港・台湾地区で多数の著書­を出版。 た。そして彼は、異なる国の知識人との­相互理解の 日本の知識人の、また日本の知識人につ­いてのかなりの 量の雑誌論文を読んで、それら知識人の方々の­問題の多 くがわれわれフランス­の知識人の問題と同一­であること を了解していたからで­す。日本に来てすぐにはっ­きりし たことは、結局のところ理解可能­な、共通した事象しか 存在していないこと。……日本人はフランス人と­同じよ うに生活が苦しく、厳しい国。あるものはフランスと­同 様な、他のものはフランスと­異なった経済上、社会上の 問題が山積している国­にいるのだという意識、そして全 てこうした問題を、顔を合わせた知識人と、終局のとこ ろこの世界は一つであ­り、唯一なものであるとい­う認識 訪日期間にサルトルと­ボーボワールは東京、京 都、大阪、箱根、神戸、長崎、広島などを訪れた。彼 は谷崎潤一郎、特に谷崎の官能的作品­に対する憧憬 夫人と対談を行った。彼はまた、谷崎の墓に参った が、墓碑に刻まれた「寂」の一字はお気に召さな­かっ 55 人民中国 2020・8

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