ブランドが地域経済けん引
福建省の晋江市は、中国南東部の沿海地域にあ
る小都市だが、ここでは、スポーツ用品メーカー「安
踏( A N T A )」、紳士服ブランド「七匹狼( S E P
T W O L V E S )」、食品メーカー「ሠሠ食品( P A
NPAN FOODS)」など、中国でよく知られ、
海外にも進出している数多くの国内ブランドが生
まれてきた。
1 9 7 8年、晋江の国内総生産( G D P )は
1億4 5 0 0万元で、1人当たりG D Pはたった
1 5 4元だった。だが、2 0 1 7年には、同地のG
D Pは1 9 8 1億5 0 0 0万元まで増え、40年前
の1 3 6 6倍になった。改革開放の40年間を経て、
晋江市は、貧しく立ち遅れた農村から、数多くの中
国ブランドの揺り籠となったのだ。
晋江には、昔から海上貿易の伝統があり、北宋
( 9 6 0〜1 1 2 7年)の時代から、同地の人々は
海へ出て商売をして生計を立て、最終的に海外に
とどまる者もいた。このような地理的環境と歴史
的背景が、商業を重視し、勇気を持って危険に挑む
晋江の人々の性格を育んだ。
改革開放以前、同地では、私営経済に対する国
の制限をひそかに破り、小規模の商売や工場を始
める人がいた。紳士服ブランド「⮲牌( S E V E N )」
の創業者・洪肇設氏は当時、落花生をひそかに売っ
て得た金で布を買い、服を作って市場でこっそり
売った。
1978年に中国共産党第
期中央委員会第3回全体会
議が開かれると、中国は改革
開放を宣言し、個人の起業や
商売に対する制限が徐々に緩
和され、かつての小規模の商
売や工場はついに堂々と経営
できるようになった。すぐに
晋江の至る所で、熱意あふれ
る起業の情景が見られるよう
になった。83年末には、晋江全
体で計2 2 7 1社の企業が登
記され、そのうち7 1 4社が
民営企業だった。
起業時に直面する最大の
困難は、資金不足であること
が多い。華僑のふるさとであ
る晋江では、海外にいる親戚
から送金を受けている人が多
かった。それが彼らの起業資
金となったのだ。また、同地に
は、華僑が建てた建物も多数
あったが、長い間誰も住んで
いなかったため、それらの使
われていない建物は企業の工
場になった。
改革開放初期、華僑や海外