「観光交流」で江西省を積極アピール
コ・セクイ駐中国イタリア大使も次のように述
べた。「改革開放は中国が成功した基盤であるこ
とに間違いなく、中国に繁栄をもたらし、世界に
も有益な影響をもたらした。中国はすでに自由
貿易体制の支持者になっている」
国際社会からの賛同と期待に対して、習主席は
次のように述べた。
中国は開放の拡大を堅持し、人類運命共同体の
共同構築を絶えず推進していかなければならな
い。前進する道において、中国は平和、発展、協力、
ウインウインの旗印を高く掲げ、世界平和を擁護
し、共同発展を促進する外交政策の趣旨を堅持し、
相互尊重、公平正義、協力・ウインウインの新型国
際関係の構築を推進していかなければならない。
また、習主席は世界に向けて次のように約束
した。
われわれは各国人民が自主的に発展の道を選ぶ
権利を尊重し、国際的な公平と正義を擁護し、国
際関係の民主化を提唱し、自分の意思を他人に押
し付けたり、他国への内政干渉や、力で弱者をいじ
めることに反対する。われわれは責任感のある大
国の役割を果たし、発展途上国の発展を支持し、グ
ローバルガバナンス体系の改革と構築に積極的に
参与し、恒久的な平和、普遍的な安全保障、共同繁
栄、開放包容、クリーンで美しい世界の構築に向け、
共に奮闘しなければならない。われわれは開放、透
明、包容、非差別化の多国間貿易体制を支持し、貿
易投資の自由化と円滑化を促し、経済のグローバ
ル化をより開放、包容、包摂、均衡、ウインウイン
の方向へと発展させていく。われわれは「一帯一路」
の共同建設を重点にし、各方面と共に新たな国際
協力プラットフォームを作り上げ、世界の共同発
展に新たな原動力を注ぐ。中国は決して、他国の利
益を犠牲にしてまで、自国を発展させようとは思
わず、また、自分の正
当な権益を放棄する
ことも決してしない。
中国は防御的な国防
政策を堅持し、中国
の発展はいかなる国
の脅威にもならない。
中国はいくら発展し
ても、永遠に覇を唱え
ない。
改革開放40年間の
実践が示したように、
中国の発展は世界と
切り離すことができ
ず、世界の繁栄にも
中国の力が欠かせな
い。中国の改革開放事業に対する国際社会の支持
と支援に感謝するために、大会では、中国の改革
開放に参加した先駆者である松下幸之助氏と、中
日国交正常化を促し、中国の改革開放を支持した
政治家の大平正芳氏を含む10人の外国人に対し、
中国政府から「中国改革友誼」の表彰バッジが授
与された。
40年たち、中国の改革開放は新たな時代に入り、
新たな階段を上がっている。未来を見据え、習主
席は、中国人民が初心を忘れず使命を銘記し、改
革開放を徹底し、新たな時代において、世界を注
目させるような、新たなより大きな奇跡をつくり
上げるように呼び掛けた。
これまでの40年、中国共産党は、長期的な政権運
営と改革開放の中で直面したさまざまなリスクと
試練に積極的に対応し、党の建設を推進し続け、党
の先進性と純潔さを保ち、党と人民大衆との血肉
のつながりも保ってきた。また、マルクス主義の中
国化の新たな局面を切り開いてきた。中国共産党
は、党による党の管理、党の厳格な管理を堅持し、
党内の政治的な生態環境を浄化し、持続的に党の
風紀・紀律を整え、形式主義、官僚主義、享楽主義、
ぜいたくな生活を求める風潮を大いに正し、「ゼロ
容認」の態度で腐敗を厳しく取り締まっている。
同時に、環境保護、文化、国防、法制などの分
野における取り組みもこの40年で飛躍的な発展
を遂げた。
アンドレイ・デニソフ駐中国ロシア大使は次のよ
うに評価した「。私は中国の改革の始まりを目撃し
た。今年、中国は改革開放40周年を迎えた。人類史
において、中国のように巨大な経済国として長期
にわたってこれほど急速な成長を保ちながら、こ
れほど偉大な成果を上げた国はない。そのため、わ
れわれは、中国経済の発展は全人類
の運命に関わっているという結論を
出すことができるだろう」
改革開放以降の中国が遂げたさま
ざまな成果について、習主席は次の
ように述べた。
これまでの40年で収めた成果は、
空から落ちてきたものでも、他人か
らの施しでもなく、全党・全国各民
族人民が勤勉、知恵と勇気を持って
努力して手に入れたものだ。われわ
れは、先進国が数百年もかかった工
業化プロセスをわずか数十年で終え
た。中国人民の手によって、「不可能」
は「可能」となった。
今回の大会では、改革開放の事業
で卓越した貢献を果たした人々を表
彰するために、各界の代表者1 0 0
人に「改革先鋒」の表彰バッジが授
与された。
中国の改革開放と世界
改革開放の40年間、中国は閉鎖、半
ば閉鎖の状態から全面的な開放への歴史的な転換を
実現させ、経済のグローバル化のプロセスに積極的
に参加し、人類の共同発展を推進するために貢献し
た。長い間、中国の世界経済への寄与率が30%を超え
ており、物品輸出入総額は206億㌦から4兆㌦に
まで躍進し、実行ベースの外資直接投資が累計で
2兆㌦を超え、対外投資総額が1兆9 0 0 0万㌦
に上っている。
これまでの40年、中国は一貫して、独立自主の
平和的な外交政策を堅持し、平和的発展の道を
歩み続け、互恵・ウインウインに基づく開放戦略
を実施し、国際関係の基本原則を断固として擁
護し、国際的な公平と正義を擁護し、開放型の世
界経済と人類運命共同体の構築を積極的に推進
し、グローバル・ガバナンス・システムの変革を
促し、覇権主義と強権政治に反対し、世界の平和
と発展のために中国の知恵とプラン、力を絶え
ず貢献し、国際社会に広く認められる世界平和
の建設者、グローバル発展の貢献者、国際秩序の
守護者になった。
これについて、ジェイムズ・ゴードン・ブラウ
ン元英国首相は次のように評価した。「現在の世
界は一国主義、保護主義の台頭に直面しており、
多国間主義とグローバル化のプロセスは困難に
遭遇している。いかなる時でも、協力してこそ保
護主義に真に勝利することができる。この過程
において、中国が果たす役割はますます重要に
なるだろう」。ジャン=ジャック・ド・ダルデル
駐中国スイス大使は次のように述べた。「中国が
さらに開放を拡大すれば、自身の成長につなが
るだけでなく、世界経済の改善にもつながると
信じている。そういう視点で見ると、世界全体の
変化につながるだろう」。エットレ・フランセス
森林をテーマとした交流も行ってきました。30
年をかけ、着々とそうした交流を進めてきたと
自負しています。
今回の訪中で特に話題になったのが観光交
流でした。2 0 1 0年から17年までの8年間
で、中国から岐阜県を訪れる宿泊客がざっと4
倍に増えています。しかも17年には16万人、昨
年の1月から8月までですでに18万人と、今も
増え続けています。そこで江西省の皆さんに
もぜひ岐阜県の素晴らしさを体験していただ
こうと、旅行社の方々を試験的に招待し、新し
いツアーを組んでいただく試みを行いました。
中国はブログやSNSが盛んですから、微博
(ウェイボー。中国版ツイッター)を活用した
り、あるいは有名なブロガーの方々に来ていた
だくなど、ネットを通じて岐阜県の魅力を伝え
るようにしています。昨年11月に新しいツアー
が江西省で組まれたため、江西省からも次々と
観光に来ていただいているところです。
一方、江西省には世界遺産がいくつもあり、 昔から避暑地としても有名です。そこで、「中
ぶげん国一美しい村」と言われるῇ源県を岐阜県の
人々に知ってもらい、岐阜県からも観光客を送
り出すなど、今後の相互の観光交流についても
特に積極的に議論しています。
また、今回の江西省訪問では、岐阜県の魅力
を展示する観光展を行いました。昨年9月には
江西省から常務副省長率いる代表団も訪日し、
岐阜県で江西省の観光展を行いました。このよ
うな交流を深めることについても覚書を交わ
し、具体策を議論しているところです。
――日本を訪れる中国人観光客は増加の一途
ですが、反面日本人観光客の訪中はなかなか増
えないようです。日本人が中国を訪れる意義は
どういう点だと思われますか。
古田「百聞は一見にしかず」という言葉が
ありますが、実際に行っていろいろな人と交流
を進めることで、本当の友好関係ができるので
はないかと思っています。また、観光という言
葉の「観」は「みる」という意味で、「光」は「ひ
かり」です。つまり、旅行先が持つ地域資源や
素晴らしいものをじっくり観て、そこから何か
を学ぶことこそが「観光」なのだと私は考えて
います。ですから、中国への観光も中国の素晴
らしさを学び、そしてお互いに交流を深めてい
くということが、大変重要だと思っています。
――国家間の関係は地方交流に影響を及ぼす
と思いますか。また、地方交流は国家間の交流
促進・発展に何をもたらすと思われますか。
古田
げました。
岐阜県は今まで両国関係の状況にか
かわらず、江西省との間で一貫して地道に地域
対地域の交流を進めてきたと思っています。両
者の目指す交流は、「『確固たる信頼関係』に基
づき、『持続的に一貫して』行われ、『深化・発展』
し続ける」という三つの原則で今までも行われ
てきましたし、今後もやっていきたいと申し上
昨年10月に安倍首相が日本の首相として7
年ぶりの訪中を実現し、習近平主席との会談
で、日中新時代を築くべく地方都市間の交流を
強く訴えたのは、国家レベルでの交流を進める
ためには、土台に強固な地域間交流があってこ
そという思いのアピールであったと私は思って
います。会談した江西省党委員会の劉奇書記や えきれんこう易煉紅江西省省長のお言葉からも、日中間の交
流促進の必要性を感じる強い気持ちが伝わって
きました。そんなことから、私は地方間におけ
るハイレベルでの積極的な交流が今後必要であ
ると痛感しました。私は、先ほど申し上げた三
つの原則にのっとり、今後もより積極的な地方
間交流を進めていきたいと思っています。
古田肇岐阜県知事
『君の名は。』の舞台として、また、47都道府県
の中で唯一中国と関わりがある名前を持つこと
で知られる岐阜県は、近年中国人の訪日観光客
が延べ1000万人を超える一方、日本人の訪
中観光客が低迷する現状を憂慮し、友好省であ
る江西省の観光やグルメなどを積極的に紹介
するなど、不均衡な人的交流の是正に努力を重
ねている。新年第1弾の「この人に聞く」は、友
好省から贈られた子どもの絵に目を細める親
しみ深さが印象的な古田肇岐阜県知事から、中
日関係と地方交流についての知見を得た。
――岐阜という県名の由来は、中国と深い関わ
りがあるということですが、その由来をお聞か
せください。
古田肇知事
日本の47都道府県の中で、中国
とのご縁がある名前は岐阜県だけだと思いま
す。もともと岐阜は井之口と呼ばれていました
が、戦国時代に織田信長が当時稲葉山城と呼ば
れていた現在の岐阜城を戦い取った時に、天下
統一をするのだという意気込みを示すために、
地名を岐阜と変えたのが始まりです。その名付
けの際に相談した方が中国への造詣が深く、周
の文王が立ち上がり、800年の太平の基を
きざん築いた陝西省の岐山の「岐」と、孔子が生まれ
きょくふた山東省の曲阜の「阜」を取り「岐阜」と名付け
たと言われています。孔子を「文」とすれば、天
下統一して世の中を平定した文王を「武」、つ
まり文武両道を旨とし、世の中の中心となるこ
とを目標にしようと、織田信長が「天下布武」
と呼ばれる号令を発しました。つまり岐阜とい
う名前は、日本の中心であり、日本統一の拠点
であり、しかも文化の中心でもあるということ
を示す、非常にありがたいものなのです。
――1988年の岐阜県と江西省の友好関係
締結から30周年を迎え、昨年11月に知事は3回
目の江西省訪問をされました。最も印象深かっ
たことをお聞かせください。
古田
私は政府の役人をしていた頃に、数え
きれないほど訪中しました。知事になってから
は、友好提携している江西省を3回訪問してい
ます。前回は10年前の友好提携20周年の年で、
節目には訪問をさせていただいています。
江西省では南昌に毎回行っていますが、10年
の間に建物や街並みが大きく変わり、非常に活
気のあるダイナミックな大都会になったとい
う印象を受けました。前々回は世界遺産の廬山
などにも足を運びましたが、江西省は革命の重
要拠点で、まさに「人民中国」の原点と言える
でしょう。その江西省と、織田信長が立った岐
阜県という「出発点」同士のご縁で協力交流を
するのは、非常に良いことですよねと、今回の
訪問でもお話させていただきました。
― ―30年の交流で得た実績と成果についてお
話しください。
古田
主に人的交流です。子どもたちの交流
や県民の交流を行うことで関係を深めてきま
した。岐阜県は「木の国・山の国」とも呼ばれ、
森林が豊富です。江西省も森林の国ですから、