People's China

改革開放と伴走の経済­協力

元商務部副部長

- 陳健

り、累計で中国の外資利用­国のトップを占めてい

る。日本の国際協力銀行(J B I C )が18年11月26

日に発表した報告では、中国の日系企業の27・7 %

は利益率が日本国内よ­り高く、タイにある日系企

業に次ぐ高さだった。日系企業の今後3年間­の投

資目的地は中国がトッ­プで、その割合は52・2 %

で前年と比べて6・5ポイント増えており、日本

企業が中国投資の先行­きを見込んでいること­が明

らかになった。

一方、中国企業の日本に対す­る投資規模はまだ

小さいが、着実に発展している。近年、中国の革

新型企業は、国際電子商取引、モバイル決済、シェ

アリング経済などのニ­ューエコノミー・モデルに

より日本への進出を加­速させている。タクシーの

配車アプリを運営する「滴滴出行(ディディ)」は、

日本最大のタクシー会­社「第一交通」と、配車サー

ビスで提携した。また蘇州のある企業が­開発した

サービス型ロボットが、長崎県内にあるテーマ

パーク「ハウステンボス」に導入された。このよ

うに、中国企業の日本への投­資の将来性は見通し

が明るい。

経済貿易の基礎も民間

中日友好の基礎は民間­にあり、中日経済貿易関

係の発展の基礎も民間­にある。両国の経済界は長

年にわたり、中日関係と経済貿易の­協力を促進す

ることに力を入れ、困難な時期に際しても、両国

の関係の安定と改善を­推進するよう努力して­来

た。中日間の多くの事は、官民が並行して成し遂

げたもので、これらの貴重な経験は­これからも大

いに発揚していくべき­であろう。

1 9 6 2年に、廖承志氏、高碕達之助氏がそれ

ぞれ中日双方を代表し、民間交流の形式で「中日

総合貿易に関する覚書」に署名した。中国対外貿

易部(現商務部)は78年、中日長期貿易協議委員­会

の名義で、日本側の日中長期貿易­協議委員会と長

期の貿易取り決めにつ­いて合意。中国は日本に対

して石油、石炭を輸出し、日本からは技術・設備

を輸入した。2 0 0 5年と10年、私は中日長期貿

易協議委員会の主任(代表)として、日本側委員長

の千速晃氏、張富士夫氏と共に同取­り決めの継続

に調印した。18年は同取り決め調­印40周年だった。

取り決め項目の商品は­従来の大口商品として­中日

貿易の重要な構成部分­であり、両国の経済発展を

促進した。また1 9 8 0年代、中国側の輸入超過

の問題を解決するため­に、双方は「中日貿易拡大

協議会」を設立し、中国の輸出能力の強化­につい

てプランを提出した。

世界発展に必要な中日­の知恵

時代の発展に伴い、第4次産業革命や人口­高齢

化、汚染防止などのグロー­バルな課題に直面する

今、中日はさらに知恵を出­し合って対策を研究し、

協力と発展の活力を活­性化させなければなら­な

い。

人類社会の発展はいつ­も順風ではなく、世界

は絶えず新たな問題や­新たな挑戦に直面し、時

に覚醒し時に途方に暮­れる。そして、このような

繰り返しの中で絶えず­進歩していく。発展の道

は決して平坦ではなく、全世界が共に探求すべ

きである。

中日両国は、多国間貿易体制の積極­的な参加者・

貢献者として、自身のプランで世界に­貢献し、発

展の難題を共に解決し­なければならない。われわ

れは、保護主義の道が通用し­ないと考える。第2

次世界大戦後に作られ­たグローバルな基本的­枠組

みを維持し、時代と共に進み、改革・発展を推し

進めなければならない。われわれは、互いに協力

し合い、国際ルールを順守し、貿易投資の自由化

と円滑化を促進すべき­である。そして、経済のグ

ローバル化を推し進め、さらに開放されて包容­力

があり、普遍的な恩恵とバラン­スの取れた、ウイ

ンウインの方向へと発­展させ、素晴らしい未来を

切り開いていくべきで­ある。

この40年来、日本は中国の改革開放­のプロセス

に深く参加し、中日経済貿易関係は苦­労を経験し

ながらも、長足の発展を実現した。今では、中国

は日本の第1の貿易相­手国で、日本は中国の第2

の貿易相手国(2 )と重要な外資の出資国(3 )になっ

た。両国の経済のつながり­は、日に日に緊密とな

り、互いに融合し、協力の分野は絶えず広­がり、

全方位で深いレベルで­の協力の構造を形作っ­た。

伴走の40年を振り返­る

私は商務部では中日経­済貿易や対外投資、労務

協力などを主管してお­り、日本の経済界との付き

合いが多かった。

1 9 7 8年に中国共産党第1­1期中央委員会第3

回全体会議が、改革開放という歴史的­な決定を行

い、それまでの計画経済体­制に対する「突破」が

実現した。中日両国は平和友好条­約を締結し、中

日の平和共存、世代にわたる友好とい­う大きな方

向を法律の形で確立し、経済貿易協力のための­良

い環境がつくられた。その後、中日の経済貿易関

係は、貿易、投資、政府間の資金協力など­全面的

な発展時期に入った。92年の中国共産党第­14回全

国代表大会と鄧小平氏­による南方談話は、社会主

義市場経済体制を目指­す中国の改革の方向を­はっ

きりと打ち出した。中日経済交流のメカニ­ズムも

政府主導、官民並行という状態か­ら、次第に市場

主導のレールへと向か­って行った。

中国は2 0 0 1年に世界貿易機関( W T O )に加

盟し、経済のグローバル化と­国際的な分業・協力に

全面的に参加。中日の経済貿易協力の­分野は、さら

に財政金融や地域協力、エネルギー環境など幅­広

い分野に拡大した。両国の指導者は07年、中日のハ

イレベル経済対話を提­案・実現させ、戦略的でマク

ロ的、長期的な議題について­討議した。私は中国側

のコーディネーターと­して3回の対話に参加­し、中

日両国が第2、第3の経済大国として­経済貿易関

係が転換期に入ったこ­とを感じた。17年11月以降、

中日両国の指導者は何­度も会合を行い、中日関係

の発展についての一連­の重要な共通認識に達­した。

中日関係は再び正常な­軌道に戻り、中日経済貿易

関係は新たな発展の兆­しを迎えている。

政治が経済貿易を左右

この40年の歴史を振­り返ると、両国の関係が安

定し友好的であるほど、経済貿易協力の発展の

スピードもますます速­くなる。この間の歴史は、

中国の改革開放が中日­両国に発展のチャンス­を

もたらしたことを証明­した。また、それは中国に

とって有利であり、日本にとっても有利で­あり、

世界にとっても有利で­あるということも証明­し

た。相互補完・互恵・ウインウインの協力モ­デル

は、中日経済貿易関係の長­期的で健全な循環を保

障している。

中日の貿易額は1 9 7 8年は48億2 0 0 0万

㌦で、2 0 0 2年と06、11年はそれぞれ

1 0 0 0億㌦、2 0 0 0億㌦、3 0 0 0億㌦を突

破し、07年からは中国は日­本の第1の貿易相手国

となっている。しかし、12年から中日関係が­悪化

し、両国の経済貿易関係に­も影響が及び、貿易額

は5年連続で減少した。17年の中日関係の改­善に

伴い、中日の貿易額は302­9億9000万㌦へ

と回復し、前年比で10・1 %増えた。

日本の対中直接投資は、1 9 8 0年代初めの

年間数千万㌦から90年代以降の毎­年数十億㌦

に増加し、規模はどんどん拡大し­た。ところが

2012年からは下り­坂となり、4年連続で伸び

率はマイナスとなった。しかし17年に、対中国投

資はマイナスの伸び率­から5・3 %の増加に転じ

た。同年末までに、中国で設立した日本の­企業は

5万社を超え、実際の投資額は108­0億㌦とな

 ??  ?? 1984年、日本航空による東京-北京-上海-東京路線の貨物便が就­航
1984年、日本航空による東京-北京-上海-東京路線の貨物便が就­航
 ??  ?? 元商務部副部長 陳健氏(写真・呉文欽/人民中国)
元商務部副部長 陳健氏(写真・呉文欽/人民中国)

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