中 日40 年、「変化」と「不変」
中国社会科学院日本研究所所長
で、中日間の課題と相違は依然として存在してい
る。「ポスト総理相互訪問」の段階に入った中日関
係は、正常な軌道に戻った上でさらなる発展を実
現し、真の安定的かつ長期的な発展を実現するた
めに、以下の要素が必要である。
まず、中日間のプラス局面の拡大に力を入
れ、マイナス局面は抑えなければならない。両
国にとって戦略的な対話は必要だが、それ以
上に実務協力をより強化すべきだ。課題が多
くある中日関係だからこそ、進まざればすな
わち退く(前進あるのみだ)。中日関係を発展
させる根本的な原動力は、両国の経済・社会の
発展の中でつくられ拡大し続ける内発的な協
力の需要である。中日関係の未来は外的な要
因に頼るのではなく、内発的な原動力(4 )を深
く掘り起こすことによって自主的な成長を実
現すべきだ。
第2に、地域の秩序や協力の構造に
対して両国が協調しながら対応しな
ければならない。グローバルな大変動
に直面し、アジア太平洋地域の主要な
国々は、地域における協力や将来の秩
序について、それぞれの考え方を持っ
ている。日本側は、19年6月に開かれ
る大阪G20サミット(主要20カ国・地
域首脳会議)までには、地域協力を推
し進める面で成果を出したいと考え
ている。日本版の「インド太平洋戦
略」と中国が提起した「21世紀海上シ
ルクロード」は、その地域や分野、協
力の重点などの面で重なる部分が多
くある。日本政府は最近、この「戦略」
を「構想」と変え、その開放性と経済
的な性格を強調した。日本の東アジア
地域包括的経済連携( R C E P )に対
する政策的立場も変化し、「スピード」
と「スタンダード」で前者をより重要
視するようになった。これは中日両国
が展開する戦略的対話に大きなチャ
ンスをもたらした。
第3に、課題と相違を的確にコント
ロールし、最終的に適切な解決へと導かなけれ
ばならない。18年6月、中日両国は海空連絡メ
カニズムを正式に始動させた。国際的な標準で
はまだ初期段階だが、これからより多くの措置
が打ち出されると信じる。
最後は、民間の交流を強化し、民意の基礎を
改善することだ。中日関係の改善に対し、両国
は程度の差こそあれ、現在は共に「官熱民冷」
という状態だ。18年10月の「東京-北京フォー
ラム」で発表された世論調査によると、中国国
民の日本に対する好感度は40 %を超えるまでに
改善した。その一方、日本国民の中国に対する
好感度は相変わらず低いレベルにとどまってい
る。「国の交わりは民の相親しむに在り」と言わ
れるように、積極的でしっかりした民意の基礎
は中日関係の持続可能な発展の最終的な保障で
ある。
欧州における産業革命以降、世界は数百年の
「西風東漸(西洋の文化・技術が次第に東洋に流
れ込み影響を与えること)」を経験した。21世
紀になり、世界の経済・政治の中心が大西洋か
らアジア太平洋地域に移った。アジアが成し遂
げた目覚ましい経済発展が、アジア文明に復興
と繁栄をもたらすかどうか、そこには中日関係
が重要な役割を果たしている。
現在、脱グローバリズム(5 )と保護貿易主義
(6 )の台頭を国際社会が憂慮する中、中日は世
界第2と第3の経済大国として、多国間貿易体
制を引き続き堅持し、アジア太平洋地域の多国
間協力に関する対話と意思疎通を強化し、世界
経済の健全な発展を推し進めなければならな
い。これは両国が勇気を持って共に担うべき責
任である。
1 9 7 8年後半、中国は、日本と中日平和友
好条約を締結、また米国と外交関係樹立に関す
る共同コミュニケを発表し、さらに中国共産党
第11期中央委員会第3回全体会議を開催した。
この三つの歴史的な出来事が相次いだことは偶
然ではなく、その背後には深いつながりがあっ
た。中日平和友好条約の締結は、百年来の両国
関係の歩みを変えた。また、アジア太平洋地域
の国際関係の枠組みに重要で深い影響を与え、
東西冷戦状態に突破口を作り、アジアの平和を
守った。
同条約が締結された際、当時の福田赳夫首相
は次のように述べた。条約は「両国の未来だけ
ではなく、アジアと太平洋地域および世界の平
和と安定にとっても、大きな貢献である」。78年
10月23日、条約の批准書交換式に出席するため
訪日した鄧小平氏は、天皇陛下との会談の際、
中日平和友好条約は自分たちの想像以上に大き
な意味があるようだと、自らの深い思いを述べ
た。中日平和友好条約締結と中米外交関係樹立
は、確かに中国の改革開放、経済と社会の目覚
ましい発展に良い外部環境を形作った。
改革開放で一貫した中日協力
中日協力の重要な貢献は、その協力が改革開
放において一貫し、中国の経済と社会の大きな
発展に深く関わったということである。
79年12月、当時の大平正芳首相が中国を訪問
し、正式に政府開発援助( O D A )をスタートさ
せた。中国が海外から援助を求める中、資金援
助で日本は長期にわたって先進国のトップだっ
た。日本の対中ODAは中国の改革開放にとっ
て大きな助けとなった。具体的には、まずは改
革開放の初期に中国が直面した資金不足を補っ
た。80年に第1次中日円借款協定が調印され、
中国は日本から5 0 0億円(当時の為替レート
で約2億2 0 0 0万㌦)の援助を受けた。これ
は、当時の中国の外貨準備高1億6700万㌦
の1・3倍に当たり、中国が改革開放を始めて
から最初で最大の外国政府による借款で、改革
開放初期の中国にとっては非常に貴重だった。
また、円借款は中国のインフラ整備を促すとと
もに、間接的には日本などの先進国の対中貿易
と直接投資を推し進めた。同時に日本から中国
への技術移転を促進し、中国で多くの技術者な
どの人材を育てた。
さらに戦略的な意義を持つのは、日本との
協力を通じて中国は、進んだ技術だけでなく、
産業政策や企業管理のノウハウ、対外開放と
国際協力の経験および先進的な理念を学んだ
ことである。また中日協力は、中国の世界に向
けた開放の窓口を開いた。この後、中国は欧米
の先進国と協力し、より広範囲に効率よく国
際的な資源と国際的な市場を利用し、近代化
建設を加速させ、貴重な改革開放初期の経験
を積み重ねた。
安定的に発展、世界的責任を共に担う
この40年来、中日両国は世界各国と共に、極
めて大きな変化を遂げた。しかし、中日が経済・
社会の発展のために必要な外部資源の相互補
完的な構造は変わらない。両国が隣国同士とい
う客観的な条件も永遠に変わらない。
ここ数年、中日関係は徐々に改善されつつあ
る。2 0 1 8年5月、李克強総理が日本を訪問
し、第三国市場における両国の協力についての
認識で一致した。また同年10月、安倍首相が訪中
し、双方が50余りの協力覚書に署名し、両国の関
係改善や協力強化のテンポが加速している。一方