光と円満がテーマの現代舞踊赤字でもダンスの感動伝える
反抗から伝統への回帰
高艶津子という名前から日本人
だと思われることが多いが、彼女は
貴州省出身のトゥチャ(土家)族だ。
1995年に北京舞踏学院第1期コ
ンテンポラリーダンス脚本・演出ク
ラスを卒業し、同年に北京現代舞団
に入団した高さんは現在、唯一の創
設メンバーとして同団の芸術ディレ
クターを務めている。コンポラリー
ダンスに対し、高さんは次のように
理解している。「コンテンポラリーダ
ンスは異なるジャンルの芸術を最も
尊重していて、あらゆる生命の独自
の思考、イメージ、表現力を重んじ
ています。伝統的な舞踊では、全員
をまとめ上げて同一のものを表現し
ますが、コンテンポラリーダンスで
は、各自が自信を持って大胆に自己
を表現します。これがコンテンポラ
リーダンス最大の魅力です」
コンテンポラリーダンスは西洋
ではクラシックバレエへの反抗で
あり、身体言語における探求と克服
だ。中国に進出したコンテンポラ
リーダンスは、同様に「常識を打ち
破る」革新者としての役割を演じ
た。しかし、ダンサーの表現がより
成熟し自信にあふれていくうちに、
「反抗」はもはや重要ではなくなっ
た。高さんは次のように話す。「16歳
から20歳の頃に反抗することは、格
好良いと言えなくもないですが、そ
れからも反抗する人はとても子ど
もっぽいと思いますね。自分に自信
がないと言っているのと同じです。
ダンスも一緒で、自身が持つあらゆ
る可能性を探求してから伝統文化
に戻れば、自信は自分をより強くさ
せてくれます。だから私は伝統文化
を拒みません。私の作品は、考え直
す、想像し直すというオリエント文
化に深く根差しています」
同じ東洋のコンテンポラリーダ
ンスとして、「暗黒舞踏」のような日
本のダンスは色合いが暗く、ゆがみ
やねじれがあって、たけだけしい。
これには、日本人の骨に刻まれた悲
劇の美学や、「空寂」を追い求めるこ
とと関係があるかもしれない。高さ
んの作品には痛みやあがきがある
が、結末は中国人観客が胸をなでお
ろす大団円と温かみが用意されて
いる。高さんはこう話す。「『暗黒舞
踏』が表現する生命の原初の状態が
大好きで、生の表現も死の表現も好
昨年11月、上海と北京で日本の舞踏グループ「山海塾」による『降りくるもののなかで―とばり』が上演された。それから間もなく、高艶津子率いる北京現代舞団が『水・問』と『三更の雨・願い』というオリエンタリズムあふれるコンテンポラリーダンス(現代舞踊)2作品を上演した。これは日本と中国の二つのコンテンポラリーダンス・ユニットに起こった偶然の対話だ。両者の作品ははっきりと異なる様相を呈しているが、共に西洋文化とぶつかり合う中で、自国や現代に適したコンテンポラリーダンスの表現を探求したことは疑う余地がない。
北京現代舞団は民間の非営利
団体で、現在は7、8人の常駐ダ
ンサーがいる。年間運営コストは
200万元に上り、各種プロジェク
ト基金の援助があるが、水道・電気
代や賃貸料などはみな興行収入で
まかなう。北京の劇場の使用料が1
日10万元の現在、チケット代の売り
上げが使用料に届かないのも珍し
いことではない。これに対し、高さ
んは次のように話す。「お客さんが
買ってくれる1枚のチケットに私
たちは生かされています。北京現代
舞団がここまでやり続けてきた理
由は、優秀なダンサーに芸術を信じ
させ、ステージを用意するためで
す。あまりにも純真である彼らに
は、自分の専門分野で生きてほしい
です」
大きな経済的困難に直面して
いるが、同団体は赤字覚悟で公演
を続けている。『三更の雨・願い』
が、3 0 0年以上の歴史を持つ北
京の劇場「正乙祠戯楼」で上演し
て4年たつが、会場はいつも満席
だ。しかし古くて狭いため座席は
1 0 0席もなく、満席でも元が取
れない。しかし高さんはここで公
演を行うことを大切にしている。
なぜなら、正乙祠戯楼に見に来る
お客さんの大半はダンスの素人だ
が、その中にはダンスに興味を持
つようになったり、偶然観光で立
ち寄った客がダンスファンになる
こともあるからだ。
「ダンスとは本来、人生の中で利
益を求めるためのものではありま
せん。ダンスとは美しい願いで、他
の芸術の形式と比べて、一瞬で消え
去り、体と年齢とステージの制限を
受けますが、ぬくもりがあります。
劇場を訪れれば、ダンサーが流す
汗、ダンサーの呼吸、ダンサーの激
情を見られます。ダンスがもたらす
のはこの温度です。私たちに何か求
めるものがあるとすれば、それはど
うやってお客さんにこの感動を伝
えるのか、ということです」
きです。その美学は
俗世間からかけ離れ
ていて、特殊な美し
さがあります。しか
し、それは私の求め
るものとは違うとも
考えています。私は、
暗黒のものに興味が
ないのです。私の作
品は苦痛を表すとし
ても、最後に希望の
光を見せます。その
光が苦痛を見つめて
いるのです」
『三更の雨・願い』
では、無念の気持ち
を抱きながら死ぬ喜
娘(花嫁の付添の女
性)が雨の夜に花、鳥、
魚、虫、草に5回生ま
れ変わり、最後に自身
との和解に至る。そ
して『水・問』では、ずっしりのし掛
かる岩石の下で舞うダンサーたちが、
最終的に満開のハスの花を見る。こ
れらの「光」の原点は高さんの女性
的な優しさにあり、もしくは中国の
伝統的な美学が追求する「円満」の
体現かもしれない。
次世代のダンサーとファンへ
高さんは感情と直感に従う創作
者だ。「私は作品で自分の体のスタ
イルをデザインしません。私の生命
の形を作品に変えるんです。既存の
テーマにのっとった作品は、私の生
命とは関係がないものなので創り
たいとは思いません。今の私が痛
みや喜びを生み出すところから思
考やイメージを始めなければなら
ないんです」。北京現代舞団が生き
残っている現状から言えば、彼女の
創作理念はぜいたくかもしれない。