5周年迎えたPanda杯
北京・成都の旅
出会った時の戸惑いを表し、次のような文章を書
いた。「意識やきっかけがなければ、本当の真実は
何も見えてこないのだ。それはつまり、『透明(メ
ディア)の壁』が立っているにすぎない。向こうが
見えているかのように見えて、手を伸ばせば壁が
あって触れることができなくなっている。意識し
なければ、壁の存在にすら気付かない」
5年間、多くの応募者の作品から同じような困
惑が伝わってきて、日本の若者が中国を認識する
際の共通の戸惑いが分かってきた。Pa n da杯
参加以前の対中認識について、東京学芸大学の小
嶋心さん(20 )は次のように述べた。「中国をどち
らかというと嫌いな国というか、安全がちゃんと
保証されていないという不安なイメージが強かっ
た」。一橋大学院生の中島大地さん(26 )は、「不安」
以上に「無関心」が中国を知る上で最大の障害に
なっていると考え、次のように述べた。「無関心が
最大の問題で、日本の若者のほとんどが中国のこ
とを知らないし、理解していない」
Pa n da杯受賞者を中国旅行に招待するの
は、このような中国に対する「不安」を解消し、「関
心」を抱くきっかけをつくり、実体験を通して、発
展や変化を遂げる中国の本当の姿を全面的に知っ
てもらうためだ。中国外文局(中国国際出版集団)
の陸彩栄副局長は、北京で開かれた表彰式で「雨
垂れ石をうがつ」ということわざでPa n da杯
の意義を評価し、次のように述べた。「微力だが、
努力を重ねていけば、必ず大きな成果を収めるこ
とができる。5年間努力し、これからも続けてい
くP a n d a杯は、石をうがち、滴り続ける水滴
のように、いつの日かその『透明の壁』を突き破
り、両国の若者の交流と理解の扉を開けることが
できる」
2 0 1 4年に第1回Pa n da杯全日本青年作
文コンクールが行われたとき、中日関係はまだ冷
え込んでいたが、中日友好を望む日本の若者たち
の熱意は冷めなかった。5年間で本コンクールの
参加者と受賞訪中者の数が年々増加したことがそ
の熱意の裏付けだ。Pa n da杯5周年に当たる
昨年、両国の指導者が中日関係が正しい軌道に戻
るよう推し進め、各分野の民間交流はますます活
発になり、第5回を迎えたP a n d a杯も、投稿
数が最高の6 2 4点を数え、過去最多の21人の受
賞者を中国訪問に招待した。
昨年11月16日から22日、第5回Pa n da杯受
賞者訪中団は北京と成都を訪れた。ここに、収穫
に満ちた1週間の中国研修旅行を紹介するととも
に、5周年を迎えたPa n da杯が日本の若者の
対中認識に果たした役割も振り返ってみたい。
「透明の壁」を突破する
大学生の田中歩佳さんは昨年の受賞作品で、「透
明の壁」という言葉を使って日本の若者が中国に
を期待している」
予想通り、今回の訪中で深く印象に残ったこと
は何かと聞かれると、多くの団員が異口同音に、
この大会のことを挙げた。大会では、日本に関連
する歴史と文化、政治と経済、文学と芸術、音楽
とスポーツなどのジャンルをカバーした問題が
出題された。その範囲の広さ、問題の難易度に
は、大会の審査員を務めた朝日新聞の西村大輔記
者も全て正解することができなかったほどだ。会
場にいた日本女子大学の横山由果さん(20 )は次
のように述べた。「どの問題も想像以上
に難しく、中国の学生たちが問題を正
解するたびに尊敬するとともに、日本
人なのに答えられず恥ずかしくなって
いった」。長崎県立大学の森井宏典さ
ん(20 )も同感し、こう述べた。「正直、
自分が日本人であることが恥ずかしく
なるほど、中国の大学生の方が日本を
よく理解し、勉強してくれている」。訪
中団を率いる日本科学協会理事の川口
春馬団長(74 )は「中国の大学生の日
本に対する豊富な知識には驚いた。日
本の若者たちも相手に負けない勇気と
努力をもって、中国への理解を増やし、
中国人との交流を深める意欲に燃える
よう頑張ってほしい」と団員たちを励
ました。
若者が自発的に交流する意欲のほ
か、現在改善を続ける中日関係も両国
の青年交流を深める絶好のチャンスを
与えた。訪中前日、駐日本中国大使館で
行われた表彰式で、程永華大使は次の
ように述べた。「両国政府は2 0 1 9年
を『中日青少年交流促進年』とすることを定めた。
これをきっかけに、両国の若者たちは自分の目で
理解を深め、自分の身で交流と友情を深め、両国
の友好関係のさらなる強化に貢献してほしい」
「天府の国」パンダとの出会い
Pa n da杯5周年の特別企画として、訪中の
後半に日本の若者は、古来より豊かな土壌と恵ま
れた自然があることで「天府の国」とたたえられ、
『三国志』の蜀があった成都へ赴き、パンダを間近
で見学し、四川省の多彩な文化と出会った。
横浜市立大学の山本蘭さん(21 )は、成都出発前
にパンダとの出会いを期待して、次のように述べ
た。「私は蘭という名前で、初めて日本に来たパンダ
の名前も蘭蘭(ランラン)なので、パンダにとても
親しみがあるが、実際には見たことがないので楽し
みにしている」。成都到着後の最初の訪問地は、世
界最大規模のジャイアントパンダ繁殖研究拠点だ。
竹林が青々と茂っているこの場所では、1 0 0頭以
交流に理由はいらない
日本の若者の中国に対する「関心」を呼び起こ
し、交流への第一歩を踏み出させるにはどうすべ
きか。受賞者であるフリーライターの大森貴久さ
ん(30 )は次のように考える。「中国に関心を持っ
たきっかけを思い出せない。子どもの頃に、近所
の友達と遊ぶのに理由なんてなかったのと同じ
で、日本の隣国である中国に関心を持つことに理
由なんていらない。中国を、常に隣にいる存在と
して付き合っていくことが大事だ」
訪中した日本の若者に、同年代の中国の若者と交
流する場を提供することは、Pa n da杯訪中研修
旅行の特徴だ。日本の若者の訪中前、人民中国雑誌
社は中日青年交流に参加する中国人ボランティア
の募集を行ったが、わずか10人の枠に3 0 0人近く
の応募が殺到した。中国の若者も、日本の若者に劣
らない交流の意欲を持っている。北京外国語大学で
日本語を専攻する1年生の崔鯤さん(19 )は次のよ
うに述べた。「この機会に日本語を勉強し、日本の若
者の中国に対する考え方も知りたい」。崔さんを含
む中国のボランティアは訪中団のために、早くから
古都の歴史巡り、胡同巡り、歴代王朝とゆかりのあ
る公園巡りの三つの見学交流ルートを計画した。訪
中団到着の翌日、両国の若者は三つのグループに分
かれ、晴れた冬日に、皇帝が住んだ故宮や天壇公園
を見学し、路地や横町を散歩し、北京の
情緒を満喫した。
湯気が立つ羊肉の火鍋を囲み、両国の
若者は1日の短い思い出を振り返った。
創価大学2年生の玉川直美さん(19 )は
ほほ笑みながら次のように述べた。「同年
代の中国の若者と交流ができて、本当に
良かった。みんな日本語がぺらぺらで、
とても優しくて、すぐ友達になれた」。漫
画や音楽などのポップカルチャーから、
それぞれの学業の悩みや恋愛話まで、若
者たちはさまざまなテーマで語り合っ
た。初めて日本を離れた高校生の種田涼
音さん(18 )は次のように述べた。「面と
向かった交流により、国籍の違いは障害
にならないことが分かった。両国の若者
の趣味と悩みに共通点が多かった」。ま
さに大森さんが考えたように、交流に理由は不要で、
交流の第一歩を踏み出すことこそが大事なのだ。
日本人より日本を知る中国人学生
日本側の主催者代表である日本科学協会の大
島美恵子会長は、日本出発前の訪中団に、今回
の訪中研修で設けた同協会主催の青年交流イベ
ントを説明した。それは、昨年11月18日に北京大
学で開催された「笹川杯全国大学日本知識大会
2 0 1 8」の決勝戦だ。大島会長は次のように述
べた。「この日本知識大会は、中国の1 0 0以上あ
る大学から約330人の日本語学部の学生たちが
一堂に会す、中国でも類を見ない大規模な大会。
ぜひこのチャンスに、同世代の若者と大いに語り
合い、友好の輪を広め、お互いに刺激になること
「善意」で多くの美しい出会いを
最初は初対面で緊張して
いた団員たちは、この訪中研
修で仲間になり、1週間とい
う短い時間はあっという間
に過ぎた。彼らは中国に興味
を持つ者同士で互いに尊重
し合う友人となった。北京と
成都の街角で中国の若者と
交流し、彼らは中国と中国人
に対する認識と理解を深め
ることができた。2 0 1 6年
にも研修旅行に参加し、今回
はその訪中感想文で優秀賞
に選ばれ、中国を再訪した後
藤さんは次のように述べた。
「1回目、2回目どちらもそ
うだが、中国に行くと言った
ときに、周りの反応はちょっ
と良いものではなかった。で
も、こういうところに行っ
て、みんなすごく優しかった
し、気さくに話し掛けてくれ
た、ということをしっかり伝
えて、そういう反応を少しず
つ減らしていきたいと思う。
まだ知らない人にしっかり
伝えていかなければならな
いという意識が芽生えた」
人民中国雑誌社の陳文戈
社長は、若者たちが成都に
出発する前に北京で次のよ
うな期待を語った。「研修旅行から得た感動が中国
の美しい思い出になり、その美しい思い出をさら
に多くの日本の友人に共有してもらいたい」。その
言葉通り、われわれは5周年を迎えたPa n da
杯を記念するため、5年間の優秀作品と訪中の感
想を中日2カ国語で収録した記念文集を年内に出
版する予定だ。これらの文章と感想を読むと、中
国や中国人と付き合ったエピソードはそれぞれ異
なるが、共通点も分かってきた。それは、彼らが
「善意」のまなざしで中国を優しく観察しているこ
とだ。日本女子大学の日暮美音さん(20 )は、研修
旅行中に感じた中国からの「善意」に対して、「私
も自分なりの善意を中国にお返しし、これからも
中国のことを熱心に学び、知識を身に付けたい」
と話した。善意のまなざしで見ることで善意のお
返しをもらい、さらにより多くの善意の付き合い
を生み出す。このような善意の循環によって、日
本の若者たちは中国に関するより多くの美しい思
い出を得るだろう。
上のパンダを育てている。気だるそうに木の幹で仮
眠しているパンダは今にも落ちてしまいそうな様
子だ。食事に集中しているパンダは、竹の硬い皮を
器用に剥ぎ、大きく口を開けておいしそうに食べて
いる。コロコロとしたパンダの赤ん坊は竹のラック
から滑り落ちそうになるが、ふわふわした爪でラッ
クをつかみ、懸命に登っている。山本さんは「あ〜
かわいい〜」と喜びながら携帯電話で写真を撮っ
た。「忙しいときとか、ちょっと疲れたときに見て、
癒やされたいと思う」
訪中団の中には、黒縁眼
鏡、白い上着、黒いズボン、
白い靴下、黒い靴の「パン
ダ服」でコーディネートし
た男の子もいれば、土産物
売り場でさまざまなパンダ
グッズに目を奪われて何を
買うか迷う女の子もいた。
川口団長までもパンダに見
とれて、「上野公園の香香
(シャンシャン)を見るため
に予約の申し込みをしたこ
とがあったが、なかなか予
約できず、結局見学できな
かった。ここでこんなにた
くさんのかわいいパンダと
出会えて大満足だ」とほほ
笑みながらうれしそうに話
した。
日本の若者を魅了したの
はかわいいパンダだけでは
ない。成都には悠久の歴史
を持つ四川の文化もある。
父親が『三国志』の大ファ
ンだという大森さんは、諸
葛亮を祭る武侯祠を見学し
たことで幼い頃の記憶がよ
みがえり、帰国後に『三国
志』の本を再び読むと語った。中国文学を専攻し
ている中島さんは、杜甫草堂で『春望』の一節「国
破れて山河あり」を暗唱しながら、教科書で学ん
だ杜甫の詩句に感銘し、「国と民族に深い愛を抱い
た中国の文人に感服する」と話した。一行は金沙
遺跡博物館で、同館随一の宝物といわれる直径わ
ずか12・5㌢、重さ20㌘しかない黄金の装飾品「太
陽神鳥」を鑑賞。展示されているガラス柱を囲み、
じっと見つめながら、独特で神秘的な蜀の古代文
明に魅了されていた。
成都の独特な歴史と文化のほか、日本の若者たち
は、悠然として快適な生活を送る成都の人々にも
興味津々だった。朝の望江楼公園で、竹林を背景に
市民がそれぞれグループに分かれて太極拳を練習
している。朝霧が残る仙境のような場所で体を動か
す彼らを見て、誰かが「映画『グリーン・デスティ
ニー』の中にいるようだ」とつぶやいた。竹林を出
ると、伊藤忠商事の宮地大輝さん(28 )は公園でお
茶を飲んでいるおじいさんに話し掛けた。おじいさ
んがマージャン仲間を待っていることを知った宮
地さんは、川口団長や他の団員と一緒にマージャン
牌を並べゲームをする仕草を演じた。清朝の時代か
ら残る観光名所として知られる寛窄巷子では、熊本
大学の後藤翔さん(21 )が勇気を出して成都スタイ
ルの耳掃除に挑戦した。「最初はちょっと怖い、痛い
かなと思ったが、全然緊張することもなく、気持ち
良かった」と話し、成都の人々ののんびりとした生
活をうらやましく思った。レストランでおかわりさ
れる麻婆豆腐、辛いのに箸が止まらない四川風の火
鍋、長袖が舞う中で自在に変化する川劇の変面……
「本当に楽しい」「成都で暮らしたい」という気持ち
は、初めて成都を訪れた若者たちの共通の声となっ
た。