People's China : 2020-08-05

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ことばの散歩道 上海の最大の変化は、何といって も78 開放以降の浦東地区の­建設であろう。 浦東地区は面積が12­00平方㌔ほどあり、 か30 マンハッタンを思わせ­るような景観を呈する­よ 知らずのうちに東京の­新宿を追い越してしま­っ 東地区の住民は現在5­50万人に達している。 浦東地区はまた、上海の重要な交通の要­であ 走る高速道路や黄浦江­をまたぐ橋、海底トンネ 通の便が極めて良い。 82 49 99 年の改革 もともとは農村地帯。バラックが点在するみ­す ぼらしい寒村のような­ところが多かった。それ がわず 年の間に、以前の農村地帯が近代­的 な都会に「変身」するという「換骨奪胎」の変 化を遂げ、高層ビルが林立し、ニューヨークの うになった。いつぞや上海の日本総­領事館の方 が筆者に、「高層ビルがどんどん増­えて、知らず た」と驚いていた。浦東地区には今、第1次、第 2次、第3次産業が進出し、医療衛生はじめ文 化、教育、通信などの設備が整い、各種商店の並 ぶ繁華街もあちこちに­姿を現し、団地に住む市 民生活に便宜を与えて­いる。統計によれば、浦 り、世界を結ぶ港や空港、鉄道のほか、縦横に ル、地下鉄、モノレール、バスなどがあり、交 年に完成した上海浦東­国際空港は、総面積 万4 0 0 0平方㍍、滑走路が4本( 3 8 0 0 ㍍が2本、3 4 0 0㍍が1本、4 0 0 0㍍が 1本)あり、2 0 1 7年の年間旅客利用数­は 延べ7 0 0 0万4 3 0 0人、貨物の取扱量は 3 8 3万5 6 0 0㌧、航空機の発着回数は延­べ 万6 8 7 9回と繁忙を極め、浦東地区交通の 花形としての役割を見­事に果たしている。 このように、浦東地域が新たな開発­区として スタートし、大発展を遂げるに至っ­たのは、中 国の改革開放事業の総­設計師・鄧小平氏の提唱 と支持があったからに­他ならない。 それは、1 9 9 0年の初春のことであ­った。 中国の伝統的な祝日で­ある旧正月――春節を 迎えるため、鄧小平氏は北京から上­海へ移動。 上海の今後の発展につ­いて、地元の責任者から いろいろ報告を受けた­とき、鄧氏が「上海の指 導者諸君は戦略的視野­に立ち、浦東開発に力 を注ぐよう」と語ったのが、そもそもの始まり であった。その直後、中国の中央政府― ―国務 1992年2月7日、上海の楊浦大橋の浦東­側工事現場を視察し、指揮本部責任者の報告­を聞く鄧小平氏(前列右から2人目)(新華社) 院による浦東開発につ­いての政策決定が下さ れ、翌年 の91 理方面の優勢を持つ上­海という基地を利用し て、長江デルタ地帯と長江­流域の発展を図るた ではないか」 年 れる段階に入った。 圳 鄧小平氏は晩年に入っ­てから、毎年のように といえよう。 年1月、上海を再度訪れた鄧小­平 氏は、次のように語り、ハッパを掛けた。「浦東 開発は単に浦東のみな­らず、上海全体の発展に も関係するものであり、また、人材・技術・管 めのものだ。勇気を奮い起こして事­に当たろう 92の10 月、国務院により、「浦東新区」設立 が正式に批准され、浦東新区の建設が本格­化さ 改革開放後、直ちに大規模な建設に­取り掛 かった広東省の深「経済特区」などに比べて 後れを取ったが、浦東の開発は、予想以上に発 展のテンポが速く、目を見張るものがある。 春節に合わせて上海を­訪れていたが 、94 回目の上海訪問の際、わざわざ新錦江飯店 な役割を果たしていく­に違いない。 年、7 の43 階にある展望台から上­海の全景を眺め、「上海は 変わったなァ!」といかにも感慨深げだ­った。 浦東建設を含む「長三角」の今後の発展は、 最近中国によって打ち­出され、習近平国家主席 が力を入れている「長江経済ベルト地帯」や「一 帯一路」の戦略と相まって、今後ますます重要 もし上海の浦東建設を「世紀の交響楽」に 例えるなら、総楽譜を書いたのは、まぎれも なく鄧小平氏で、全体の指揮を執ってい­るの は中国共産党中央であ­り、政府国務院である 39 人民中国 2020・8

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