People's China : 2020-08-05

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美しい中国 永州 顔真卿、柳宗元の刻印 永州市内から北東に 約40 並び、湘江沿いにそそり立つ(2 している。 と名付けた。 ㌔行くと 浯渓碑林公園がある。同公園は湘江 のほとりに位置し、園内には奇岩が )岩壁 は数十㍍の長さにわたって連な­る。 このような独特な地形­構造は、崖に 彫刻するのにまたとな­い条件を提供 1 2 0 0年以上前、唐代の文学者・ 元結が古里に帰る途中­に永州を通っ た際、その美しい山水に立ち­去りが たく、この地への定住を決め、「浯渓」 当地の岩壁が石刻の創­作に適して いることに、元結はすぐに興味を持­っ た。幾度かの試し彫りのあ­と、元結は 7 7 1年、そ の10 渓の崖壁に彫り付けた。 に60 年前の「安史の乱」 (安禄山らが起こした反­乱)を鎮める ために作った『大唐中興頌』を探し 出し、友人の書家・顔真卿( 7 0 9〜 7 8 4年)に楷書で書いてもらい、浯 唐代( 6 1 8〜9 0 7年)に彫ら れた石碑『大唐中興頌』は高さ3・ 2㍍、幅3・3㍍。左から右に向かっ て縦に書かれており、全部 で21 3 3 2文字あり、字の大きさは 行、 約15 ㌢角。この『中興頌』を書いた時、顔 真卿はすで 歳を過ぎていた。後 世、この作品は顔氏の楷書­の代表作 その後の歳月の中で、元結と顔真 卿を崇拝する文人墨客­たちはここ 渓石刻は崖全体にびっ­しり続く露 なった。 と位置付けられている。 へやってきては、書作や絵画、詩作、 語句などを岩壁に彫り­付け、その数 は486点にも及んだ。こうして浯 天の石刻群となり、中国文学と書道 の研究・鑑賞の貴重な歴史的資­料と しかし、顔真卿よりも、永州と言っ て中国人が真っ先に思­い出すのは、 中唐時代のもう一人の­文学者・柳宗 元( 7 7 3〜8 1 9年)だろう。「千山 鳥飛絶、万径人踪滅。孤舟蓑笠翁、独 釣寒江雪」(見渡す限りの山々から­鳥 書家・顔真卿が書いた『大唐中興頌』の拓本(一部)。「顔体」と呼ばれる楷書が特徴 の飛ぶ姿が絶え、全ての 道で人の足跡が消えた。 小舟にはみのかさをか ぶった老人が、雪の降る 寒々とした川で一人釣 り糸を垂れている)。こ の日本でも高校などで 漢文の教科書に載って いる『江雪』は、ここ永 州を詠んだ詩だ。 永貞元( 8 0 5 )年11 月、柳宗元は政治革命 運動で失敗し、永州に 流され、当地 で10 年間 の時を過ごした。政治 の中心から離れ、美し い山水に心の落ち着き を取り戻した柳宗元は、哲学や政治、 思索を巡らした。 の多くが思想性と芸術­性が見事に結 して位置付けられてい­る。 )気持ちは途切れること なく今日まで続いてい­る。 はやりのネットのライ­ブ放送を通して全国に­向けて柳子廟(永州市零陵区)の魅力を発信する同館­の解説員(今年4月30日、写真・潘愛民) 社会、歴史、人生などについて深く 永州での日々、柳宗元は5 0 0篇 近くの詩文を作り上げ­た。そのうち 合した作品だった。『永州八記』や『捕 蛇者説』など、当地で書き上げた代表 作により、柳宗元は「唐宋八大家」と 北宋仁宗の至和3 ( 1 0 5 6 )年、 永州の人々は柳宗元を­記念し、柳子 廟を建造した。1 0 0 0年近い月日 の中、柳子廟は一度は破壊さ­れたが 建て直し、地元の人々の柳宗元を­尊 敬、しのぶ(3 47 人民中国 2020・8

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