People's China : 2020-08-05

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前に移された。明朝の洪武4 ( 1 3 7 1 )年になると、明の太祖・朱元璋 は命令を下して舜帝陵­を九嶷山の主 峰である舜源峰に移し、後世の人々 のために祭った。 舜帝陵は、公園と霊廟、碑林の三つ の部分で構成されてお­り、総面積5 0 0ムー余り( 約33 なる。 堯天舜日広場を正面 南下の物語を書き記し た中国風の壁が立って­い を治めるために行った­こ る16 伝説が詳しく刻まれて­い 龍鳳石柱が9本立って­お な身分であることを象­徴 している。 パイファン 族の道徳の始祖と称え られている。 ㌶、東京ドーム 約7個分)だ。そのうち公園は堯天舜 日広場・明徳広場・崇聖園の三つから 3年ごとに行われてい­る舜帝祭祀イベント(湖南省人民政府主催)。古代の衣装に身を包ん­だ女性が華やかに舞い­踊り、観光客にも人気(2015年9月24日、写真・蒋新国) から見て左側には、舜帝 る。そこには、舜帝が国 とに関す の物語と る。そして広場には、高 さ9・5㍍もある大きな り、ここの主人が「九五 之尊」(帝王)という高貴 明徳広場に入ると、 「天下明徳」の四文字が 刻まれた伝統的な石門・ 牌坊(鳥居のような建 造物)が目に入ってく る。『史記・五帝本紀』に は、「天下明徳、皆自虞 帝始」(天下の明徳は、 舜帝から始まった)と 記され、舜帝は中華民 霊廟の正殿に座す厳粛­な舜帝像 中国では、古来より道徳によって 国を治めるという政治­的な伝統があ る。学界は、古書の記録に基づき、正 式に「徳」を国政運営の手段とし­て 導入し中国の古代の政­治文明を創り 上げたのは、舜帝であると認めてい る。舜帝に象徴される中国­の道徳文 化とは、主に以下の点からなっ­てい る。それは、親孝行と家族愛、寛容と 博愛を極める倫理道徳­観、勤勉・誠実・ 進んで人助けをする社­会職業道徳観、 まつりごと 天下を思い政に励み民­を愛する政治 道徳観、自己啓発と天と人は 一体であるという宇宙­道徳観 である。 酈 さいし 崇聖園と祭祀広場を抜­ける と、舜帝の霊廟に着く。この赤 い壁と黄色の瓦ででき­た霊廟 は、明の洪武4年に建設が­始 まり、明・清時代に6度の修復 を経て、徐々に明・清時代の建 築の風格を取り込んで­いった。 1 9 9 3年か ら99 年にかけて、 現地政府は国家文物局­が決め た修理プランに従って­さらに 全面的な改修を行い、現在の 規模と建築様式となっ­た。 霊廟の寝殿には墓碑が­一つ だけ安置されている。北魏時 代の道元の『水経注』によ ると、この墓碑は漢代の永州 の郡守(郡の長官)徐倹が建 て、2000年余りの歴史­を誇 る。碑には「帝舜有虞氏之陵」(舜帝 の墓)と書かれている。舜帝は姓を姚、 名を重華と言った。号は虞氏だった ため、歴史上は虞舜と呼ばれ­ていた。 地元の人によると、舜帝陵には墓碑 が一つあるだけで、墓がないのは、上 古期にはまだ土を盛っ­て墓にする習慣 がなかったからだとい­う。墓碑の背後 にある標高638㍍の舜源峰全体が舜 帝陵だ。規模からも、歴史的成り立ち (1 )か らも、舜帝陵は中国上古期の­埋 葬文化の代表の一つだ­と言える。 46 人民中国 2020・8

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