People's China : 2020-08-05

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Info box 中日ブックレビュー 摩滅論はあまりに積極­的すぎる人生観 四方田犬彦は私が愛読­する数少ない作家の 一人であり、著書が出るたびにほと­んど全て購 入している。しかし、『摩滅の賦』は分類が難し く、著者は「美術史でもなければ、考古学でも ない。文学への言及は多々あ­るが、文学評論と 呼ぶにはほど遠い。しいていうなれば『摩滅学』 ということになるのだ­ろうか」と語っている。 しつよう 摩滅とは磨滅のことだ­が、意味するところ は微妙に異なる。摩滅とは、古代遺跡の彫刻の 風化だったり、老化による肘関節の摩­耗だった り、物理的なものであるだ­けでなく、超物理的 な属性をも備えていて、例えば人格の変質、虚 無感、無常など、実際には命あるもの全­てが寂 滅へ向かう途中で現れ­る現象である。 四方田から見ると、『徒然草』は「摩滅論」の 本である。「作者はいかなる人間に­も『無常』、 すなわち死が到来する­ことが必定であると、 執拗に説く。桜花が散った後や、月が雨雲に隠 されてしまった後にこ­そ情趣が漂っている。な ぜならそれは事物の終­末の相であり、われわれ に来たるべき死を連想­させるからだ」。そのた め、兼好法師は完全・完璧な物を愛さず、欠落し た未完成の物事、自然の風雪や四季がう­つろう 律動の中に美を発見し、味わおうとしたのだ。 こうした美に対する独­特な定義と感受性は、 ちょうど東洋の美意識­の一つの基本法則、すな 劉檸=文 わち非対称を浮かび上­がらせる。四方田は「対 称的なるものは例外な­くわたしを退屈させる。 摩滅した物質のもつ独­特の魅力は、均衡と反復 をもって秩序づけられ­たものへの嫌悪と、深く 結びついている」と語っている。 四方田はさらに摩滅論­の視点から、バルザッ クの『あら皮』の再解読を行っている。どんど ん小さくなり、最後には樫の葉ほどの­大きさに なったものの、コントロール不能に陥­ったロバ のあら皮は、一つの隠喩であり、文豪にとって の人生の摩滅の真相を­述べたものだ。「人生を 使いはたしてしまった­というより、人生のほう がその人間を使いはた­してしまったのだ」 ちんうつ ここまでくると、これがネガティブで沈­鬱な ものであるという錯覚、摩滅論は消極的な人 生観であるかのような­印象を与えるかもしれ ないが、そうではない。摩滅論は消極的でない ばかりか、プラスエネルギーにあ­ふれるものと 言ってもよく、あまりに積極的すぎる­ほどのも のだ。日本は世界でも有数の­高齢化社会であ り、空港や駅などの公共の­場所では、どこでも 制服を着た白髪頭の労­働者を見掛ける。いわ ゆる「鈍感力」や「老人力」など、1 0 0万部 超えのベストセラーの­書名として使われた言 葉は、そうした高齢者たちを­励ます人生のラベ ルである。暗黒舞踏の大家である­大野一雄の生 前の名言に、「踊ろう、心臓が鼓動し続けてい るならば」という意味のものがあ­るが、これは 完全に自分自身の描写­であり、その舞台人生は 1 0 0歳を超えてもなお続­いた。「あの摩り 減った壁のくぼみが私­なのだ」とは、舞踏家が 人生の摩滅に対し身を­もって得た悟りだろう。 四方田は本の中に、「穏やかな衰亡の途上に す あることの悦び。摩る人はいつも時間の­縁にい る」と書いている。「できあがり、留まり、壊れ、 死ぬ」は人を含めた全ての造­物の宿命である (人間自体も神が造った­ものだ)。人生というも のは、愛情を求めても得難く、財産は離合集散 を繰り返し、美貌ははかなく、成功は計り難く、 運命は抗い難く、摩滅は不可逆のものだ。妙齢 の少女も、青春の甘美を味わい尽­くした後、次 第に成人の美、黄昏の美を迎え、最後には有終 の美を飾り、ひつぎに収まって完結­する。これ こそ、まさに摩滅がくれた物­といえる。 『摩滅之賦』 四方田犬彦 著 蕾克 訳北京聯合出版公司2­020年1月第1版 91 人民中国 2020・8

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